ぼくたちが好きな「世紀末(ハルマゲドン)と世紀末後」の世界
世紀末=ハルマゲドンじゃねーよ! と意気込んでお越しいただいた皆さん、はじめまして。
仲良くしてください。
常連の方は今回もよろしくお願いいたします。
さて今回はいきなり、著名な3人が語る「世紀末」に関連した文章を引用して、記事は始まることになります。
(前略)だがこの滅亡のイメージは、思い返しても「恐怖」の言葉とは裏腹に、どこか甘美さを漂わせていたのだった。ただ、それに気づかなかっただけなのだ。
自分ではない絶対的な他者に原因があって滅亡「させられて」「しまった」という他責的世界観だったわけだ。
ところが、いざ本当に世紀末を迎えたときに、このイメージの「他責的な部分」が、改めてどうしても引っかかってしまうのである。
「世界なんて滅びてしまえ」
「会社なんてなくなってしまえ」。
こうした「リセットわざ」は、困難にめぐりあったときに、だれでも夢想する類のことである。
リセットは何の解決にもならない。いつかはそれに気づく。
(『世紀末アニメ熱論』170-171P。氷川竜介、キネマ旬報社)
(前略)なにゆえに、八十年代後半という時期に、一部の若者たちが「ハルマゲドン後の共同性」というイメージを生きざるをえなかったのかを、とっくりと考えることこそが必要だということだ。そのことによって私たちはようやく「ひかれ者の小唄」を歌うのをやめにできるだろう。
(中見出し略)
「核戦争後の共同性」というファンタジーが単なる絵空事でないことは、震災後のボランティアブームによって証明されている――といった発言を震災ボランティア関連のラジオ番組の収録で語ったところ、不謹慎だとしてオンエアされずに終わってしまったことがある。
(『終わりなき日常を生きろ』94-95P。宮台真司、ちくま文庫)

今世紀ももうすぐ終わりますが、20世紀末というのは千年単位のいわば千年紀末なんですね。だけどキリスト教歴とは何の関係もなく「世紀末」という思想は今や蔓延しています。一つの時代の混迷、未来の見えなさとして。これが単に世紀が変わったからといってすっきり解決するとは思えない。しかし「世紀末」の思想にとどまることはやはり怠惰だと思う。
もはや「新世紀」は始まっているのですよ。見ようと思えば誰にだってはっきりと見える、「新世紀のリアル」は。
(『新世紀のリアル』229-230P。宮台真司・藤井良樹・中森明夫、1997年飛鳥新社。引用部分は中森さん)
さて次に、作品列記。アニメ・漫画が基本で、しかも漫画はアニメ化されたものがメインですね。ぼくあまり、漫画読みではないので…
1967年
『幻魔大戦』漫画連載開始。
原作の平井さんによる小説版は1979年連載開始、「ハルマゲドン接近!」のアニメ映画は1983年公開。ちなみにワタシ、音楽と作画が良くても・アニメ映画版は全く認められない人間です。あのキャラデザ、あのツマラナイストーリー! アニメ様が「超能力少女のタオが「レッスン1、終了!」などと言う。これは本当に好き嫌いの話になってしまうが、おどけ過ぎていて嫌だった」と書かれているが、全面賛同。さむっ。
本来の世紀末がとうの昔になり、平井さんが鬼籍に入った今でも、別作家さんが描き続けて「幻魔宇宙」は広がり続けております。

1970年代以降、「新新宗教」の乱立などの宗教ブーム。
1972年
『デビルマン』漫画連載開始。

1973年
『ノストラダムスの大予言』発売。エポック・メイキング作品。悪影響はともかく、ぼくは仕事柄か・強引とも言える筆力がスゴイと思います。しかしそれよりさらにスゴイのは、『ノストラダムスの大予言』より先だっていた平井さん、デビルマンを描き始めていた永井豪さんよ。
『日本沈没』出版。
1974年
『宇宙戦艦ヤマト』TV放送。
『ヤマト』の地球は壊滅的な状態だったが、やはり「世紀末後」ではなく、「破滅を止める」ストーリーと見るべきでしょうね。
1976年
『サバイバル』連載開始。人類(ほぼ)滅亡の原因が「地震」は、珍しいのでは。
1978年
『未来少年コナン』TV放送。
大陸を変形させるほどの大戦争から20年後が舞台で、おそらく科学技術なども著しく衰退している世界が舞台。「ハルマゲドン」そのものではなく、「その後」を描いたTVアニメとしては、最初期ではないでしょうか。
1979年
雑誌『ムー』創刊。
1982年
『風の谷のナウシカ』漫画連載開始。最終戦争「火の7日間」から千年後。
『AKIRA』漫画連載開始。入れないわけにはいかないから書いたけれど、個人的にはあんまり「崩壊後の世界」のイメージがないです。
1983年
『北斗の拳』漫画連載開始。
西暦199X年に核戦争が起きた設定だから、「世紀末」に間違いない。そしてwikiで「世紀末」を調べると、
日本およびSF作品等フィクションの一部では「世の終わり」と混同されることがあり、特に映画『マッドマックス』や漫画『北斗の拳』等の影響か、本来の西暦の節目という意味ではなく、「世紀末=人類が死に絶えて、荒廃した世界」というイメージが少なからず存在している。
とある。もちろん今回の記事では、wikiが指摘している通り「世紀末=世の終わり」と意図的に混同して書いています。
それはともかく、あくまで個人的なイメージですが、ぼくは『北斗の拳』直撃世代にも関わらず、今から見ると北斗の拳の世界は「世紀末後」です。
この感じ、分かってもらえるでしょうか。
「世紀末救世主伝説」ではなく、「世紀末『後』救世主伝説」なのです。
この感じはおそらく後年、「ハルマゲドン後の世界」を舞台にした作品に慣れ親しんだせいではないか、と勝手に自己分析しています。
1994年
『ヨコハマ買い出し紀行』漫画連載開始。「夕凪の時代」のイメージは、個人的に宮台さんいうところの「終りなき日常」に重なる部分があります。
1995年
阪神・淡路大震災発生。
地下鉄サリン事件発生。
『新世紀エヴァンゲリオン』TV放送開始。
世界の人口の半数が死んだ「セカンドインパクト」は2000年に起きた設定でした。世紀末は「~99年」ではなく「~00」年を指すので、まさにセカンドインパクトは・世紀末に起きたハルマゲドン、なのです。
雑誌『クイック・ジャパン vol.03』の特集が「ぼくたちのハルマゲドン マンガで読む、“最終戦争”完全カタログ」
1999年
(当然のように)恐怖の大王なんて降臨しなかったし、地球滅亡もなかった!
せめて、ギャグ漫画日和の巨大隕石衝突回「終末」みたいに、誰かTVでやらかしてくれたら面白かったのに…
2000年
『最終兵器彼女』漫画連載開始。
2006年
『ゼーガペイン』放送。
2007年
『キスダム KISSDUM -ENGAGE planet-』放送。
2009年
『地球の放課後』連載開始。
2012年
『がっこうぐらし!』漫画連載開始。まあ、どちらかと言えば世紀末イメージより、ゾンビ+萌え系の化学反応なんでしょうけれど。
2014年
『少女終末旅行』漫画連載開始。
2015年
『あげくの果てのカノン』連載開始。作者のインタビューによると、世紀末感より「不倫」が先にテーマにあったようですね。
2016年
アニメ映画『planetarian 〜星の人〜』上映(原作ゲーム発売は2004年)
2017年
『けものフレンズ』(ゲーム、漫画は2015年)
2018年
『僕は君を太らせたい』連載開始。全く事前知識なく1巻を手に取った時、流行りのグルメ漫画の一種だと思っていた。いや、確かにそうなんだけれど…
未見・未読なのも若干含めて、「世紀末」で思いつく作品を羅列してみました。ま、今では「アポカリプスもの」とかに類別される作品も含まれるでしょうが…
「あの作品が入ってない」とかは、まあ、できればご遠慮ください。
ぼくの知識なんて、たかが知れているので…
例えば全く少女漫画に縁がないのに、『7SEEDS』とか書けないすよ。
あと、富野作品ブログなのに『ザブングル』入れてないのは、トリックみたいに使っている面が大きいからです。
さて、ホントに意図的なことはいっさいせず、思うままに羅列してみましたが、「世紀末ブーム」なんてものがあったとして、そのただ中であったはずの1980年代後半~1990年代前半にかけて、意外と作品が思い浮かばない。
ギャグマンガであるところの『MMR』が、90年に颯爽と登場していますが。

なんかぼくの記憶から抜けている作品あったかな…
ちょうどバブル時期とも重なるのが関係しているのかな。
浮かれている時代に、ハルマゲドンとか言ってもなあ、という空気はあったかもしれないですね。
阪神・淡路とサリン事件が起きた95年以降に、「ハルマゲドン後」の世界が描かれる作品ばかり出るのは、よく分かる気がします。
もう4年後に、恐怖の大王なんか来ないのは証明されちゃう。煽っていた人たちも、逃げ支度の準備ですよね(もっとも中心人物である五島さんは98年に2冊、続いて2000年にも本を出しているから、全く逃げてないんだけれど…)。
だからその時期に、2000年に始めた『最終兵器彼女』って、ちょっとスゴイと思う。
「え、今?」感が。それとは別に、高橋さんは『いいひと。』の印象だったので、作風が代わったことにも驚いたけれども。
だけど他は、あんまり見当たらない。
その後の作品を見ると、『ゼーガペイン』は作品単体としては素晴らしいけれども、「破滅後の世界」ものとしては過渡期で、近年の作品はもうちょっと色合いが違うもんなあ。
近年の作品って、「終りなき日常」と「ハルマゲドン後の世界」って、本質的にほぼイコールで描かれているし。あとはちょっと、作品へのメインに置かれていない感もあるし。スパイスとまでは言わないけれども。
さてじゃあそこで、自分は恋愛をするのか、自分を探す旅をするのか、料理をするのか、作品ごとに違う。
恐怖の大王も現れず、ハルマゲドンも起きなかった世紀末は終り、あ、映画の『アルマゲドン』は1998年公開ね。
もう20年過ぎようとしている。ぼくたちはどんな「世紀末」作品を、これからも美味しい美味しいと消費していくのだろう。
かつて、うまくいかない日常をドンガラガッシャンできる舞台装置として魅力的だった世紀末やハルマゲドンの効能は、令和となった今でも有効かもしれない。
結局、ぼくには現実世界の「新世紀のリアル」なんてよく分からないまま時は過ぎたけれど、フィクションの世界ではどうやら、形を変えて世紀末もハルマゲドンも健在みたいだ。
現在の世紀末作品は、「リセット後」の世界が主流になっている。「リセットは解決にならない」と考える必要もない。そもそも、リセット後の世界が設定なのだから。
異世界へのチート転生で個人の妄想を充実させるのもいい、でもちょっと食傷気味だから、もっとハルマゲドン起こしてくれていいんだよ。
先達に感謝しつつ、享受しようじゃないか。

ところで、最後に蛇足。冒頭に掲げた宮台さんの「ハルマゲドン後の共同性」だが、富野作品好きは、『∀』を思い出すことも可能だと思う。
ハルマゲドン後(黒歴史後)に、瓦礫が散在する世界ではなく・牧歌的な世界を創出させた『∀』はやはり特異な作品だったのではないか、と。
『コナン』に源流を見ることも可能だろうけれども。
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仲良くしてください。
常連の方は今回もよろしくお願いいたします。
さて今回はいきなり、著名な3人が語る「世紀末」に関連した文章を引用して、記事は始まることになります。
(前略)だがこの滅亡のイメージは、思い返しても「恐怖」の言葉とは裏腹に、どこか甘美さを漂わせていたのだった。ただ、それに気づかなかっただけなのだ。
自分ではない絶対的な他者に原因があって滅亡「させられて」「しまった」という他責的世界観だったわけだ。
ところが、いざ本当に世紀末を迎えたときに、このイメージの「他責的な部分」が、改めてどうしても引っかかってしまうのである。
「世界なんて滅びてしまえ」
「会社なんてなくなってしまえ」。
こうした「リセットわざ」は、困難にめぐりあったときに、だれでも夢想する類のことである。
リセットは何の解決にもならない。いつかはそれに気づく。
(『世紀末アニメ熱論』170-171P。氷川竜介、キネマ旬報社)
(前略)なにゆえに、八十年代後半という時期に、一部の若者たちが「ハルマゲドン後の共同性」というイメージを生きざるをえなかったのかを、とっくりと考えることこそが必要だということだ。そのことによって私たちはようやく「ひかれ者の小唄」を歌うのをやめにできるだろう。
(中見出し略)
「核戦争後の共同性」というファンタジーが単なる絵空事でないことは、震災後のボランティアブームによって証明されている――といった発言を震災ボランティア関連のラジオ番組の収録で語ったところ、不謹慎だとしてオンエアされずに終わってしまったことがある。
(『終わりなき日常を生きろ』94-95P。宮台真司、ちくま文庫)

終わりなき日常を生きろ ──オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫)
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1998/03/24
- メディア: Kindle版
今世紀ももうすぐ終わりますが、20世紀末というのは千年単位のいわば千年紀末なんですね。だけどキリスト教歴とは何の関係もなく「世紀末」という思想は今や蔓延しています。一つの時代の混迷、未来の見えなさとして。これが単に世紀が変わったからといってすっきり解決するとは思えない。しかし「世紀末」の思想にとどまることはやはり怠惰だと思う。
もはや「新世紀」は始まっているのですよ。見ようと思えば誰にだってはっきりと見える、「新世紀のリアル」は。
(『新世紀のリアル』229-230P。宮台真司・藤井良樹・中森明夫、1997年飛鳥新社。引用部分は中森さん)
さて次に、作品列記。アニメ・漫画が基本で、しかも漫画はアニメ化されたものがメインですね。ぼくあまり、漫画読みではないので…
思いつくままに作品羅列
1967年
『幻魔大戦』漫画連載開始。
原作の平井さんによる小説版は1979年連載開始、「ハルマゲドン接近!」のアニメ映画は1983年公開。ちなみにワタシ、音楽と作画が良くても・アニメ映画版は全く認められない人間です。あのキャラデザ、あのツマラナイストーリー! アニメ様が「超能力少女のタオが「レッスン1、終了!」などと言う。これは本当に好き嫌いの話になってしまうが、おどけ過ぎていて嫌だった」と書かれているが、全面賛同。さむっ。
本来の世紀末がとうの昔になり、平井さんが鬼籍に入った今でも、別作家さんが描き続けて「幻魔宇宙」は広がり続けております。

幻魔大戦 Rebirth (1) (少年サンデーコミックススペシャル)
- 作者: 七月 鏡一
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2015/04/17
- メディア: コミック
1970年代以降、「新新宗教」の乱立などの宗教ブーム。
1972年
『デビルマン』漫画連載開始。

デビルマン-THE FIRST- (1) (復刻名作漫画シリーズ)
- 作者: 永井豪とダイナミックプロ
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2018/01/27
- メディア: コミック
1973年
『ノストラダムスの大予言』発売。エポック・メイキング作品。悪影響はともかく、ぼくは仕事柄か・強引とも言える筆力がスゴイと思います。しかしそれよりさらにスゴイのは、『ノストラダムスの大予言』より先だっていた平井さん、デビルマンを描き始めていた永井豪さんよ。
『日本沈没』出版。
1974年
『宇宙戦艦ヤマト』TV放送。
『ヤマト』の地球は壊滅的な状態だったが、やはり「世紀末後」ではなく、「破滅を止める」ストーリーと見るべきでしょうね。
1976年
『サバイバル』連載開始。人類(ほぼ)滅亡の原因が「地震」は、珍しいのでは。
1978年
『未来少年コナン』TV放送。
大陸を変形させるほどの大戦争から20年後が舞台で、おそらく科学技術なども著しく衰退している世界が舞台。「ハルマゲドン」そのものではなく、「その後」を描いたTVアニメとしては、最初期ではないでしょうか。
1979年
雑誌『ムー』創刊。
1982年
『風の谷のナウシカ』漫画連載開始。最終戦争「火の7日間」から千年後。
『AKIRA』漫画連載開始。入れないわけにはいかないから書いたけれど、個人的にはあんまり「崩壊後の世界」のイメージがないです。
1983年
『北斗の拳』漫画連載開始。
西暦199X年に核戦争が起きた設定だから、「世紀末」に間違いない。そしてwikiで「世紀末」を調べると、
日本およびSF作品等フィクションの一部では「世の終わり」と混同されることがあり、特に映画『マッドマックス』や漫画『北斗の拳』等の影響か、本来の西暦の節目という意味ではなく、「世紀末=人類が死に絶えて、荒廃した世界」というイメージが少なからず存在している。
とある。もちろん今回の記事では、wikiが指摘している通り「世紀末=世の終わり」と意図的に混同して書いています。
それはともかく、あくまで個人的なイメージですが、ぼくは『北斗の拳』直撃世代にも関わらず、今から見ると北斗の拳の世界は「世紀末後」です。
この感じ、分かってもらえるでしょうか。
「世紀末救世主伝説」ではなく、「世紀末『後』救世主伝説」なのです。
この感じはおそらく後年、「ハルマゲドン後の世界」を舞台にした作品に慣れ親しんだせいではないか、と勝手に自己分析しています。
1994年
『ヨコハマ買い出し紀行』漫画連載開始。「夕凪の時代」のイメージは、個人的に宮台さんいうところの「終りなき日常」に重なる部分があります。
1995年
阪神・淡路大震災発生。
地下鉄サリン事件発生。
『新世紀エヴァンゲリオン』TV放送開始。
世界の人口の半数が死んだ「セカンドインパクト」は2000年に起きた設定でした。世紀末は「~99年」ではなく「~00」年を指すので、まさにセカンドインパクトは・世紀末に起きたハルマゲドン、なのです。
雑誌『クイック・ジャパン vol.03』の特集が「ぼくたちのハルマゲドン マンガで読む、“最終戦争”完全カタログ」
1999年
(当然のように)恐怖の大王なんて降臨しなかったし、地球滅亡もなかった!
せめて、ギャグ漫画日和の巨大隕石衝突回「終末」みたいに、誰かTVでやらかしてくれたら面白かったのに…
2000年
『最終兵器彼女』漫画連載開始。
2006年
『ゼーガペイン』放送。
2007年
『キスダム KISSDUM -ENGAGE planet-』放送。
2009年
『地球の放課後』連載開始。
2012年
『がっこうぐらし!』漫画連載開始。まあ、どちらかと言えば世紀末イメージより、ゾンビ+萌え系の化学反応なんでしょうけれど。
2014年
『少女終末旅行』漫画連載開始。
2015年
『あげくの果てのカノン』連載開始。作者のインタビューによると、世紀末感より「不倫」が先にテーマにあったようですね。
2016年
アニメ映画『planetarian 〜星の人〜』上映(原作ゲーム発売は2004年)
2017年
『けものフレンズ』(ゲーム、漫画は2015年)
2018年
『僕は君を太らせたい』連載開始。全く事前知識なく1巻を手に取った時、流行りのグルメ漫画の一種だと思っていた。いや、確かにそうなんだけれど…
未見・未読なのも若干含めて、「世紀末」で思いつく作品を羅列してみました。ま、今では「アポカリプスもの」とかに類別される作品も含まれるでしょうが…
「あの作品が入ってない」とかは、まあ、できればご遠慮ください。
ぼくの知識なんて、たかが知れているので…
例えば全く少女漫画に縁がないのに、『7SEEDS』とか書けないすよ。
あと、富野作品ブログなのに『ザブングル』入れてないのは、トリックみたいに使っている面が大きいからです。
さて、ホントに意図的なことはいっさいせず、思うままに羅列してみましたが、「世紀末ブーム」なんてものがあったとして、そのただ中であったはずの1980年代後半~1990年代前半にかけて、意外と作品が思い浮かばない。
ギャグマンガであるところの『MMR』が、90年に颯爽と登場していますが。

MMR-マガジンミステリー調査班-(1) MMR-マガジンミステリー調査班- (週刊少年マガジンコミックス)
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1991/07/15
- メディア: Kindle版
なんかぼくの記憶から抜けている作品あったかな…
ちょうどバブル時期とも重なるのが関係しているのかな。
浮かれている時代に、ハルマゲドンとか言ってもなあ、という空気はあったかもしれないですね。
阪神・淡路とサリン事件が起きた95年以降に、「ハルマゲドン後」の世界が描かれる作品ばかり出るのは、よく分かる気がします。
もう4年後に、恐怖の大王なんか来ないのは証明されちゃう。煽っていた人たちも、逃げ支度の準備ですよね(もっとも中心人物である五島さんは98年に2冊、続いて2000年にも本を出しているから、全く逃げてないんだけれど…)。
だからその時期に、2000年に始めた『最終兵器彼女』って、ちょっとスゴイと思う。
「え、今?」感が。それとは別に、高橋さんは『いいひと。』の印象だったので、作風が代わったことにも驚いたけれども。
だけど他は、あんまり見当たらない。
その後の作品を見ると、『ゼーガペイン』は作品単体としては素晴らしいけれども、「破滅後の世界」ものとしては過渡期で、近年の作品はもうちょっと色合いが違うもんなあ。
近年の作品って、「終りなき日常」と「ハルマゲドン後の世界」って、本質的にほぼイコールで描かれているし。あとはちょっと、作品へのメインに置かれていない感もあるし。スパイスとまでは言わないけれども。
さてじゃあそこで、自分は恋愛をするのか、自分を探す旅をするのか、料理をするのか、作品ごとに違う。
恐怖の大王も現れず、ハルマゲドンも起きなかった世紀末は終り、あ、映画の『アルマゲドン』は1998年公開ね。
もう20年過ぎようとしている。ぼくたちはどんな「世紀末」作品を、これからも美味しい美味しいと消費していくのだろう。
かつて、うまくいかない日常をドンガラガッシャンできる舞台装置として魅力的だった世紀末やハルマゲドンの効能は、令和となった今でも有効かもしれない。
結局、ぼくには現実世界の「新世紀のリアル」なんてよく分からないまま時は過ぎたけれど、フィクションの世界ではどうやら、形を変えて世紀末もハルマゲドンも健在みたいだ。
現在の世紀末作品は、「リセット後」の世界が主流になっている。「リセットは解決にならない」と考える必要もない。そもそも、リセット後の世界が設定なのだから。
異世界へのチート転生で個人の妄想を充実させるのもいい、でもちょっと食傷気味だから、もっとハルマゲドン起こしてくれていいんだよ。
先達に感謝しつつ、享受しようじゃないか。

ところで、最後に蛇足。冒頭に掲げた宮台さんの「ハルマゲドン後の共同性」だが、富野作品好きは、『∀』を思い出すことも可能だと思う。
ハルマゲドン後(黒歴史後)に、瓦礫が散在する世界ではなく・牧歌的な世界を創出させた『∀』はやはり特異な作品だったのではないか、と。
『コナン』に源流を見ることも可能だろうけれども。
人気漫画が毎日読めるアプリ
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