ぼくが、二本の弦の秘密を知ったタイミングが良くなかった
えー、どうも。
今回の記事は関係なさそうなマクラから、映画『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』の感想に至る流れとなる予定なので、ひと時お付き合いのほどを。
最近ぼくは、HULUで配信が始まった『落語とは、俺である。-立川談志・唯一無二の講義録-』を少しずつ見ています。
以降、敬称略でいきますね。
談志と言えば以前、爆笑問題太田が「談志さんとたけしさんに奢った」と自慢している宴席で、たけしと2人で当時人気が出ていたねづっちの…厳密に言えばねづっちの「謎かけ」について延々と文句を言っていたそうです。
ネット記事にもなりましたが。
爆笑問題・太田光 ビートたけしと立川談志さんが酷評していた芸人を暴露
ぼくはこの話をラジオ番組「爆笑問題カーボーイ」で聞いた時に、「談志やたけしが思う『謎かけ』はどんなものなのだろう」と興味を持っていました。
『落語とは、俺である。』の2講目に少し謎かけの話が出てきて、その中で談志は模範例の1つとして
ウグイスとかけて お弔いととく その心は なきなきうめにいく
と話していました。
すごい。2つにかかっている。
この答え、ちょっとネットで調べてみると小三治師が感心していたとかいないとか…
で、ねづっちの「上手いこと」との違いはなんだろう…まさか「2つかかっていないとダメ」ってことでもないだろう。
おそらくは、「共通点を上げるだけではダメなんだ」ってことでしょうが。
で、えー……
『落語とは、俺である。』の1講目「落語とは」には(全部で8講ある)、落語の定義みたいなものが騙られています。
談志いわく例えば「夫婦仲良く」とか「親には孝行する」とか、そういう一般的な道徳というか規範のようなものがあるのは、逆に言うとそういう縛りがないと・人間はそんなものを守りはしないからだ、と。
数日前に呟いたコレ。
実は談志がこの番組の中で出した小咄を、ちょっとガンプラに変えただけなんだよね。このツイート。パクリ。
つまり夫婦愛の本当なんて、こんなもんじゃないのかい、と。
そして談志は落語を「常識でない非常識の部分を肯定してやる」と定義していたわけです。談志が語る落語の代名詞にもなっている「落語は人間の業の肯定である」とほぼほぼ似ていますね。
もっとも、とは言っても、落語に明るくないぼくにしてみれば。
そんなことを言っているが、「談志」と聞いてぼくが連想する噺といえば人情噺の代表作の1つで・夫婦愛を描いた「芝浜」だし…などと考えていたわけです。
「正しくあるべき形」「社会的な規範」などを提示してくる作品と、そこからはみ出たものを描いていく作品。
勿論、両方あって良いのですが。
自分はどちらが好きなんだろう、と。
Gレコって、こんなところから逸脱していた作品だよな、とか。
Gレコが「理解しづらい」って言われるの、設定とかもあるだろうけれども、ここら辺にも理由あるのかな…
ともかくそんなことを考えた翌日に、映画館へ行って・ツイッターのTL上で評判の良かった『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』を見てきたわけですよ。
ねえ。
ちょっとモヤモヤする感じ分かっていただけます?
ああも親子愛や夫婦愛をストレートに出されてきて、真正面に受けられます? と。
見終わった直後は
とツイートしました。
ぼくだって嫌われたくない…
いや実際に、子持ちのおっさんとしては感動もしたよ。したけれど前日に『落語とは、俺である。』を見てたから…
見てなかったら、もっと素直に感動できたと思うんだよな。
勿論素晴らしいところはたくさんある。
観客がこういう映画を褒める時、「クボの人形の数は30体、表情は4800万通りある」とか「振付師を採用して人形のリアルさを追求した」とかっていうのは、悪手…とは言わないまでも、ぼくの心には響かないんですよね。
ただ見ている分にはそんなこと知ったこっちゃないし、事前情報無しで見に行くタイプだからね。
ぼくは美的感覚がないので、正直「ストップモーションアニメで描く意味とは…」とすら思ったけれど、それはさすがにぼくの間違いだった。
あの画像だからこそ、折り紙のハンゾウのキャラクターも一層際立ったし、灯篭流しの幻想的な趣が実写や通常のアニメよりも増したと思うし。
日本文化の描き方は。
「『ティファニーで朝食を』から50年以上、ついに精神性まで描いてくれるようになったか!」と感動に似た気持ちを覚えた一方、
「いっそう日本について全く知らなければ、もっと異世界を感じられたのに」とも思いました。
日本人で嬉しかったような、全く知識が無い状態で見たいとも思うような。
まあこの作品を見るにあたって、日本人の特権があると思おう。
だから問題は、テーマだけなんですよ。
理想的な父親・母親を出して、その意思を受け継ぐ子どもなんて「作品として無邪気すぎないか」と思う一方、
「いや単純故に骨太だからこそ多くの人が好意的に受け止めたのだ、力強いメッセージとして届いたのだ」とも自分の中で反論できるんですよね。
矛盾に思われるかもしれないけれど、実はストーリーにも不満はない。
あのテーマを描いているストーリーとしては、素晴らしいと思うから。
実際のところ、ぼくは別に親になんの不満もないし、自分が親になった現在も家庭に不満はないし、だからもっとこの映画に感動して良かったはずなんだよな。
それを前日に。談志が非常識がどうこう言っているの聞いたから…
スクリーンでエンドロール見ながら、「これ、親を憎く思っている人や家族に不満がある人は、どう消化するんだろう。それでもやっぱり感動するんだろうか。ケッと思うんだろうか」とか、ついつい考えちゃったんだよね。
映画の鑑賞は個人的体験に拠る、とはやはり真実だなあ。
最後に。映画に関係ないことを1つ。
コレ、嬉しいね。楽しみだね。

KUBOのスタッフが参考にした版画作家。


今回の記事は関係なさそうなマクラから、映画『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』の感想に至る流れとなる予定なので、ひと時お付き合いのほどを。
最近ぼくは、HULUで配信が始まった『落語とは、俺である。-立川談志・唯一無二の講義録-』を少しずつ見ています。
以降、敬称略でいきますね。
談志と言えば以前、爆笑問題太田が「談志さんとたけしさんに奢った」と自慢している宴席で、たけしと2人で当時人気が出ていたねづっちの…厳密に言えばねづっちの「謎かけ」について延々と文句を言っていたそうです。
ネット記事にもなりましたが。
爆笑問題・太田光 ビートたけしと立川談志さんが酷評していた芸人を暴露
ぼくはこの話をラジオ番組「爆笑問題カーボーイ」で聞いた時に、「談志やたけしが思う『謎かけ』はどんなものなのだろう」と興味を持っていました。
『落語とは、俺である。』の2講目に少し謎かけの話が出てきて、その中で談志は模範例の1つとして
ウグイスとかけて お弔いととく その心は なきなきうめにいく
と話していました。
すごい。2つにかかっている。
この答え、ちょっとネットで調べてみると小三治師が感心していたとかいないとか…
で、ねづっちの「上手いこと」との違いはなんだろう…まさか「2つかかっていないとダメ」ってことでもないだろう。
おそらくは、「共通点を上げるだけではダメなんだ」ってことでしょうが。
で、えー……
『落語とは、俺である。』の1講目「落語とは」には(全部で8講ある)、落語の定義みたいなものが騙られています。
談志いわく例えば「夫婦仲良く」とか「親には孝行する」とか、そういう一般的な道徳というか規範のようなものがあるのは、逆に言うとそういう縛りがないと・人間はそんなものを守りはしないからだ、と。
数日前に呟いたコレ。
妻「転んであなたの大事なガンプラ壊しちゃった…」
— 坂井哲也 (@sakaitetsu) 2017年11月21日
夫「怪我してないかい?」
妻「ガンプラより私の心配してくれるの?」
夫「ガンプラは買い直せるけれど、お前が怪我したら大変じゃないか」
妻「嬉しい」
夫「お前が怪我で仕事を辞めたら、ガンプラを買い直すことも出来ないだろ」
実は談志がこの番組の中で出した小咄を、ちょっとガンプラに変えただけなんだよね。このツイート。パクリ。
つまり夫婦愛の本当なんて、こんなもんじゃないのかい、と。
そして談志は落語を「常識でない非常識の部分を肯定してやる」と定義していたわけです。談志が語る落語の代名詞にもなっている「落語は人間の業の肯定である」とほぼほぼ似ていますね。
もっとも、とは言っても、落語に明るくないぼくにしてみれば。
そんなことを言っているが、「談志」と聞いてぼくが連想する噺といえば人情噺の代表作の1つで・夫婦愛を描いた「芝浜」だし…などと考えていたわけです。
「正しくあるべき形」「社会的な規範」などを提示してくる作品と、そこからはみ出たものを描いていく作品。
勿論、両方あって良いのですが。
自分はどちらが好きなんだろう、と。
Gレコって、こんなところから逸脱していた作品だよな、とか。
Gレコが「理解しづらい」って言われるの、設定とかもあるだろうけれども、ここら辺にも理由あるのかな…
ともかくそんなことを考えた翌日に、映画館へ行って・ツイッターのTL上で評判の良かった『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』を見てきたわけですよ。
ねえ。
ちょっとモヤモヤする感じ分かっていただけます?
ああも親子愛や夫婦愛をストレートに出されてきて、真正面に受けられます? と。
見終わった直後は
KUBO見た。陳腐なテーマを、アレに見立てたアイデアと、死生観に絡めていたので感動的に見られた(感動したとは言ってない)。
— 坂井哲也 (@sakaitetsu) 2017年11月29日
子持ちの親なら気持ちよく見られそう。
とツイートしました。
ぼくだって嫌われたくない…
いや実際に、子持ちのおっさんとしては感動もしたよ。したけれど前日に『落語とは、俺である。』を見てたから…
見てなかったら、もっと素直に感動できたと思うんだよな。
勿論素晴らしいところはたくさんある。
観客がこういう映画を褒める時、「クボの人形の数は30体、表情は4800万通りある」とか「振付師を採用して人形のリアルさを追求した」とかっていうのは、悪手…とは言わないまでも、ぼくの心には響かないんですよね。
ただ見ている分にはそんなこと知ったこっちゃないし、事前情報無しで見に行くタイプだからね。
ぼくは美的感覚がないので、正直「ストップモーションアニメで描く意味とは…」とすら思ったけれど、それはさすがにぼくの間違いだった。
あの画像だからこそ、折り紙のハンゾウのキャラクターも一層際立ったし、灯篭流しの幻想的な趣が実写や通常のアニメよりも増したと思うし。
日本文化の描き方は。
「『ティファニーで朝食を』から50年以上、ついに精神性まで描いてくれるようになったか!」と感動に似た気持ちを覚えた一方、
「いっそう日本について全く知らなければ、もっと異世界を感じられたのに」とも思いました。
日本人で嬉しかったような、全く知識が無い状態で見たいとも思うような。
まあこの作品を見るにあたって、日本人の特権があると思おう。
だから問題は、テーマだけなんですよ。
理想的な父親・母親を出して、その意思を受け継ぐ子どもなんて「作品として無邪気すぎないか」と思う一方、
「いや単純故に骨太だからこそ多くの人が好意的に受け止めたのだ、力強いメッセージとして届いたのだ」とも自分の中で反論できるんですよね。
矛盾に思われるかもしれないけれど、実はストーリーにも不満はない。
あのテーマを描いているストーリーとしては、素晴らしいと思うから。
実際のところ、ぼくは別に親になんの不満もないし、自分が親になった現在も家庭に不満はないし、だからもっとこの映画に感動して良かったはずなんだよな。
それを前日に。談志が非常識がどうこう言っているの聞いたから…
スクリーンでエンドロール見ながら、「これ、親を憎く思っている人や家族に不満がある人は、どう消化するんだろう。それでもやっぱり感動するんだろうか。ケッと思うんだろうか」とか、ついつい考えちゃったんだよね。
映画の鑑賞は個人的体験に拠る、とはやはり真実だなあ。
最後に。映画に関係ないことを1つ。
コレ、嬉しいね。楽しみだね。
KUBOのスタッフが参考にした版画作家。

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